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2012年11月20日

兵庫県神戸には、鎌倉をしのぐ大きさの大仏があった!

日本には各地に巨大な大仏が存在する。その中で最大の「兵庫大仏」が鎮座しているのは、有名な鎌倉ではなく神戸市。こちらの大仏はなんと座高11m、全高18m。奈良の大仏(東大寺・蘆舎那仏(るしゃなぶつ))、鎌倉の大仏(長谷高徳院(こうとくいん)・阿弥陀如来(あみだにょらい))とともに、日本三大大仏のひとつに数えられている。

その兵庫大仏があるのが、天台宗の仏教寺院「能福寺(のうふくじ)」。この寺は最澄(さいちょう)が延暦24年(805)に、日本最初の密教教化霊場として創建したと伝えられる古刹(こさつ)だ。後に、平清盛によって兵庫港に福原宮が設けられ際には、平家一門の祈願寺に定められた。大伽藍(だいがらん)などが建設され、大変栄えたと言われている。

兵庫大仏

■見詰め合うふたつの巨人
さて、そんな立派な歴史をもつ大仏さま。全高はなんと、同寺から電車でわずか20分足らずの長田地区でポーズをとっている、あの有名人(?)の身長と同じだという。神戸近郊にお住まいの方なら、すぐにピンとくるだろう。そう。鉄人28号だ。

長田区の若松公園に設置された鉄人28号は、両足を踏ん張りポーズを決めた状態では15.6m。しかし、足を伸ばして直立させた時の全長は、18mになるように設計されているそうだ。

ということは、大仏さまと鉄人は互いの存在を認識しているに違いない。他に視線をさえぎるものがないふたりの目線で、一度は街中を見渡してみたいものである。

■平清盛が髪をそって入道したのがこの地
ところで、2012年に放映されているNHKの大河ドラマ「平清盛」。主演の松山ケンイチは坊主頭で奮闘中しているが、実は、実際に清盛が髪をそった場所はこの寺である。また、境内には清盛公の墓があることでも知られている。

なぜこの地に大仏が建てられたのか? 鎖国が解除されて兵庫港が開港したことで、キリスト教信者が急激に増え、仏教徒らは危機感を抱いた。そこで、仏教のシンボルとなる大仏を建立すべく行動したのだ。その時に莫大(ばくだい)な金額を寄進したのが、兵庫の豪商・南条荘兵衛である。

初代の大仏は明治24年(1891)に建立。座高は8.5mだったが、その後、第二次世界大戦中の昭和19年(1944)、金属回収令によって国に供出されてしまった。その後、長く不在が続いたが、大仏建立100年目に当たる平成3年1991に再建され、現在に至っている。

■神戸事件で切腹した滝善三郎の墓碑も
境内には明治政府初の外交問題となった、「神戸事件」を終結させた滝善三郎の墓碑もある。神戸事件とは、慶応4年(1868)に備前藩(現・岡山県)兵が隊列を横切ったフランス人水兵らを負傷させた事件。問題を起こした隊列の責任者であった滝善三郎が切腹したことで、幕引きしたと伝えられている。

歴史に興味がある人は、能福寺とセットで三宮に足を運ぶといいだろう。駅徒歩10分の三宮神社境内には、この事件で使用されたものと同型の大砲が展示されている。実際に手を添えてみることで、弾を放つ脅威が伝わってくるかもしれない。

ちなみに、三宮神社に祀られている三宮稲荷と安高稲荷大明神は、古くから霊験あらかたであることで知られ、遠方からの参拝者も多いそう。来訪した折には、お稲荷(いなり)さまにあいさつすることをお忘れなく!

■近隣には平清盛ゆかりの地が点在している
ところで、NHKで「平清盛」が放映されていることから、神戸市では「KOBE de 清盛2012」キャンペーンを展開している。清盛ゆかりの地を大々的に紹介しているが、その中には当時「大輪田泊(おおわだのとまり)」と呼ばれていた兵庫区も含まれている。

兵庫大仏が鎮座する能福寺の近隣には、金光寺や真光寺、また清盛橋など多くの史跡が点在している。さらにハーバーランドまで足を延ばせば、大河ドラマ「平清盛」の世界を体験できる「ドラマ館」なども設けられている。神戸観光の際に、それらを巡ってみるのもいいかもしれない。  


Posted by ナカムー at 17:18観光

2012年11月14日

赤穂城

赤穂城跡に行ってきました。


兵庫県赤穂市にあり、私はJR赤穂線の播州赤穂駅から西方向に歩いて行き15分ほどで到着することが出来ました。お城はそれほど大きくはありませんが、城内がきれいに
整備されており、きれいなお城です。美しく絵になるのは隅櫓ですが、本丸跡もなかなか見所がありました。城内に引かれた水路の跡も見ることが出来ました。天守はもうありませんが、ゆったりとお散歩するならお勧めスポットです。

赤穂城(あこうじょう)は、浅野長直の指示によって慶安元年(1648)から13年の歳月をかけて築かれた赤穂城は、近代城郭史上非常に珍しい変形輪郭式の海岸平城です。藩の家老で軍学師範の近藤正純が設計し、そのうち二之丸門虎口の縄張は、当時の著名な軍学者であった山鹿素行の手が加えられたと伝えられています。赤穂城跡は軍学に従って築かれた城であり、徳川幕府が始まって約50年後に築かれたにも関わらず、その構造は戦を強く意識しており、複雑に折れ曲がる石垣、角度を違える諸門に特長があります。城地は三方を山に囲まれ、東に千種川、南は瀬戸内海に面し、清水門の南にある舟入は船が出入りできるようになっています。  昭和46年に国史跡指定を受け、平成14年には本丸庭園と二之丸庭園が国の名勝に指定され、文化財の修復・復元はもちろん、都市公園としての整備も進むなど、赤穂市のシンボルにふさわしい城跡として蘇りつつあります。  
タグ :赤穂城跡


Posted by ナカムー at 16:18観光